前回に引き続き、独裁者とも中国ともあんまり関係ない淡々とうpシリーズ。
今回はまことにレアな、バングラデシュの世界文化遺産なんかが登場するのだ。
日時は2008年3月。
では、ご覧ください。
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<5.ボグラ>
↑このへん……。
バングラデシュ北部に位置する古都。
それなりに発展しており、きれいなホテルなんかもある。
もっとも、世界遺産の玄関口にある街の割には、
地元の人たちはあんまり外国人慣れしていない(というか、この国のみなさん全体がそう)。
朝の街を散歩する。バングラデシュでも春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく……。
西條秀樹がベンガルで妖怪化するとこうなる。
スター多し。
おしゃれなデザインのチャイ屋の隣で新聞を読む兵士。
このあと、チャイ屋と兵士が俺に気付き、
「うおおおお! ガイジンだあああ!!」と騒ぎだす。
3分後。
兵士が「おい、ガイジンだー!!」と通りがかりの人間を次から次へと召喚し、
むりやり記念撮影をさせられる。
世界で最も人口密度が高い国に住む、とても物見高い人たち。
旧市街。奥にあるのはイスラームのモスクの尖塔。
ヒンドゥー教徒もいる。
バングラデシュ、人口の16%がヒンドゥーだ。
<6.モハスタン>
↑8〜10世紀ごろのインド三国志の様子。紫色の「PALAS」というのがパーラ朝である。
ボグラから自動車で50分ほど走った場所にある遺跡の村。
8世紀から12世紀にかけてベンガルとインド亜大陸北東部を支配した
パーラ朝の支配下にあり、当時は「プンドラナガラ」という名の中都市だったという。
この時期、インド全体においては仏教は衰退傾向にあったが、
北東部において強勢を誇ったパーラ朝は仏教を保護していたため、
歴史時代のインド仏教の最期の輝きとして、巨大遺跡が残ることになった。
だが、王朝の滅亡後、ベンガルはやがて13世紀〜14世紀にイスラーム化。
遺跡は近年まで歴史の闇に埋もれることとなる。
現地に残るパーラ朝の城塞跡。
城春にして草木深く……、なるまえに牛さんが草を食ってしまう。
遺跡よりも農村ウォッチングが楽しい。
……いや、よく考えたら20年くらい前の
滋賀県蒲生町も似たようなもんだった気がするけれど。
バングラデシュのリア充とリア牛。
こんな感じで砦が残る。
サイクルリキシャーで移動してたらこんな人たちに出会う。
俺に気付いた右側のゴンザレス氏(仮名)が、
例によって「うおおお! ガイジンきたあああ!」とエキサイトしはじめた。
「ところで俺の小魚を見てくれ。こいつをどう思う?」と
移動中の大八車の荷台で、突然その男は水瓶のフタを外し始めたのだ…!
この後、大八車がバランスを崩して、小魚を農道に思い切りぶちまけてしまい、
みんなで「あばばばばb」と言いながら車を停めて魚を拾うことになる。
ここまでユルくたって、人間はその気になればけっこう幸せに生きられます。
リクシャーの車上から撮った、地元の人たち。
もうすぐ、モハスタンのハイライトであるバショルゴール仏教遺跡。
バショルゴール遺跡。7世紀のラクシンダル・メドゥ寺院の跡。
「これ見たわー。20年くらい前に奈良県に遠足で行って見たわー」とか言ってはいけない。
「見たわー。やっぱ遠足だわー」。
<7.パハルプール>
↑めずらしくしっかりした地図がある。
8〜9世紀、パーラ朝の盛期に建立された大規模な僧院跡。
この僧院の建築様式は、ミャンマーのバガン遺跡群、インドネシアのロロジョングラン寺院、
カンボジアのアンコールワットにも影響を与えたといい、
ヴィジュアル系バンドでいうとBOØWYとかX JAPANみたいな凄い場所だ。
興味がある人はウィキペディアとかユネスコのページも見てみよう。
草むしりの少年がいたので撮る。
やぎ。代打を終えてベンチに帰る。
でけえ。
世界文化遺産登録は1985年。
近年(2000年代以降)に登録された世界遺産は、
五輪やW杯の開催地やノーベル平和賞なみに選定基準がうさんくさいものも結構あるんだが、
80年代に認定されている世界遺産はガチですごいのである。
休み中。
インド仏教末期の文化を反映するテラコッタ(壁面彫刻)。
見学中。
街へ戻るバス。強制座席破壊。
ボグラの街に帰った。
海外に行くと一日の密度が濃くていいのだけれど、
いまはなかなか中国以外の国に行けないんだよなあ……。
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……というわけで相変わらず世界は広いのだ。
次回、ダッカを紹介して、バングラデシュのうpするシリーズはひとまずおしまいの予定。
独裁者の教養 (星海社新書)
安田峰俊
講談社
↑ところで奥様。世界史の教科書がいま熱いらしいですわよ?