独裁者にも中国にもなんにも関係ないんだが、
前回「雲南省のド田舎の写真を淡々とうpする」をやったら
意外と好評だったため、掲示板翻訳はお休みして
もういちどうpシリーズをやってみたい。
ここでお庫出ししてみるのは、インド(コルカタ近辺)とバングラデシュ。
行ったのは2008年3月とちょっと前の話だが、
ここらへんの場所が数年でそう大きく変わることもあるまい。
では、ご覧ください。
――――――――――――――――――――――――
<1.コルカタ市街地>
西ベンガル州の州都にしてインド第三の大都市。
日本では「カルカッタ」の名で知られる。
ジョジョ第三部でJ.ガイルとホル・ホースが出てきた街でもある。
実はこんな場所だったのだ。
ナコーダ・モスク前。このオヤジは煙草を吸うと鼻の頭に血管が浮き出る。
『深夜特急』第3巻にも出てくる、サダル・ストリートの救世軍宿舎。
ええ、泊まりましたとも。
ドミトリーの隣のベッドが白人の姉ちゃんで、おっぱいが見られて嬉しかった記憶がある。
公衆トイレ前。
ふたたびナコーダ・モスク前。ムスリム商店。
ポーズをとるおやじ。
スタンド使い多し。
戦ったらたぶん右のやつの方が強い。両手使えるから。
<2.コルカタ。ちょっと変わった場所>
マザー・テレサの教会。
歩くシスター。前に見える赤いのは……。
インド共産党マルクス主義派の宣伝物でした。
ベンガル地方は印共の勢力が強いらしい。
印共は印共でいろんな派閥があるみたいだが、
ここではウィキペディアの記事を貼っておくにとどめようか。
インドに唯一という、コルカタのチャイナタウン。
住んでいるのは客家が多く、英国植民地時代に広東から渡ってきたらしい。
インドにいる関羽。
チャイナタウン……とはいえ、街路にはインド人多し。
野良犬もめちゃいる。
写真はないが、華僑系学校も見つけた。
写真が荒くてすまないが、地元の中国系住民。
客家語で自己紹介すると喜ばれる。
もともと、インド人は中国人がめちゃくちゃ嫌いであり、
過去には華僑迫害の歴史もあったようなのだが、
「インド? なかなか住みやすいよ」「息子は台湾の大学にやってる」
と、現地の客家のおばはんと話しているとユルい答えが返ってくる。
<3.バングラデシュ国境(ベナポール)への道>
国境の街は、インド側がハリダスプール、バングラ側がベナポールという。
コルカタからは電車か長距離バスで向かう。
バンコクからアランヤプラテート経由でカンボジアに入国するのと、
いろいろ感覚が近いような気がした。
中央奥の電車に乗ります。
ベンガルの車窓から。
インドも東部の方だと、自然の面ではちょっと東南アジアに近い気がする。
最東部まで行けば、住民も含めてすっかり東南アジアらしいが。
国境駅。
降りた先がいきなりイミグレーションというわけではなく、
サイクルリキシャーに乗って結構長く移動した記憶がある。
ここでインド出国のハンコを押してもらう。
この幼稚園の校門みたいなのの向こう(正確には鉄柵の向こう)がバングラデシュ。
国境って何だろう。
<4.クシュティア>
↑このへん……。
インド国境からバスで数時間東に向かった先にある街。
ポッダ河(ガンジス河の下流)のほど近くにある。
国境から走るバスの車窓から。
なんとなく、自然風物とか建物がカンボジアに似てる気がするんだよな。
夕方になってクシュティアに到着。
翌日朝。ガンジスの支流のゴライ河を見に行くことにした。
河に水を汲みに行くんだろうか。
河畔に来た。
ちなみにインドやバングラデシュの女性の服装は、
未婚だとパンジャービードレス(ズボン履き)ですが既婚だとこうなります。
ゴライ河!(干からびてます)
かっけえ。
人々の列はこんな感じで伸びていく。
日本人の日常感覚だともはや理解しづらいのだが、
ほんらい、鉄橋とかトンネルとか鉄道とかがあるという事実は実は非常に凄いことである。
それらがないと人間の移動や物流がおそろしく滞ってしまい、
「越すに越されぬ大井川」とか「箱根の山は天下の険」みたいに、
山や河をひとつ越えるのが極めて大変だったりするのだ。
ラオスやネパールの山奥に日本が掘ったトンネルが通ってたり、
バングラデシュやカンボジアの大河に日本の橋が架かってたりするのは、
実は地元の人にはかなり感謝されていたりする。
ラロン・マジャル。
ベンガルの著名な宗教詩人(バウル)だったラロン・シャハの墓。
(俺はムスリムじゃないので間違った説明になっているかもしれないのを承知で言えば)
偶像の崇拝を厳しく禁じた厳格な一神教・イスラームではあるが、
地域のお地蔵さんや天神様みたいなムードで、
亡くなった聖者の墓が地域信仰の場になることは決して少なくない。
特にベンガルには、こういう聖者廟がとても多いようなのである。
バウル。RPGっぽくジョブ設定すれば吟遊詩人。
こういう人たちはリアルにいるのだ。
しかも、観光用じゃなくもっぱら地域住民向けに歌ってるようなのが。
クシュティアの市街地。
市内の移動にバイクや自動車なんていらねえ、という男らしい街。
バスに乗って北のボグラの街に向かう。
車窓からガンジス河。
――――――――――――――――――――――――
……画像を貼り出したら楽しくなってきたので、後半に続く。
世界はとても広いのだ。
独裁者の教養 (星海社新書)安田峰俊講談社
↑というわけで、世界史の教科書を…。
前回「雲南省のド田舎の写真を淡々とうpする」をやったら
意外と好評だったため、掲示板翻訳はお休みして
もういちどうpシリーズをやってみたい。
ここでお庫出ししてみるのは、インド(コルカタ近辺)とバングラデシュ。
行ったのは2008年3月とちょっと前の話だが、
ここらへんの場所が数年でそう大きく変わることもあるまい。
では、ご覧ください。
――――――――――――――――――――――――
<1.コルカタ市街地>
西ベンガル州の州都にしてインド第三の大都市。
日本では「カルカッタ」の名で知られる。
ジョジョ第三部でJ.ガイルとホル・ホースが出てきた街でもある。
実はこんな場所だったのだ。
ナコーダ・モスク前。このオヤジは煙草を吸うと鼻の頭に血管が浮き出る。
『深夜特急』第3巻にも出てくる、サダル・ストリートの救世軍宿舎。
ええ、泊まりましたとも。
ドミトリーの隣のベッドが白人の姉ちゃんで、おっぱいが見られて嬉しかった記憶がある。
公衆トイレ前。
ふたたびナコーダ・モスク前。ムスリム商店。
ポーズをとるおやじ。
スタンド使い多し。
戦ったらたぶん右のやつの方が強い。両手使えるから。
<2.コルカタ。ちょっと変わった場所>
マザー・テレサの教会。
歩くシスター。前に見える赤いのは……。
インド共産党マルクス主義派の宣伝物でした。
ベンガル地方は印共の勢力が強いらしい。
印共は印共でいろんな派閥があるみたいだが、
ここではウィキペディアの記事を貼っておくにとどめようか。
インドに唯一という、コルカタのチャイナタウン。
住んでいるのは客家が多く、英国植民地時代に広東から渡ってきたらしい。
インドにいる関羽。
チャイナタウン……とはいえ、街路にはインド人多し。
野良犬もめちゃいる。
写真はないが、華僑系学校も見つけた。
写真が荒くてすまないが、地元の中国系住民。
客家語で自己紹介すると喜ばれる。
もともと、インド人は中国人がめちゃくちゃ嫌いであり、
過去には華僑迫害の歴史もあったようなのだが、
「インド? なかなか住みやすいよ」「息子は台湾の大学にやってる」
と、現地の客家のおばはんと話しているとユルい答えが返ってくる。
<3.バングラデシュ国境(ベナポール)への道>
国境の街は、インド側がハリダスプール、バングラ側がベナポールという。
コルカタからは電車か長距離バスで向かう。
バンコクからアランヤプラテート経由でカンボジアに入国するのと、
いろいろ感覚が近いような気がした。
中央奥の電車に乗ります。
ベンガルの車窓から。
インドも東部の方だと、自然の面ではちょっと東南アジアに近い気がする。
最東部まで行けば、住民も含めてすっかり東南アジアらしいが。
国境駅。
降りた先がいきなりイミグレーションというわけではなく、
サイクルリキシャーに乗って結構長く移動した記憶がある。
ここでインド出国のハンコを押してもらう。
この幼稚園の校門みたいなのの向こう(正確には鉄柵の向こう)がバングラデシュ。
国境って何だろう。
<4.クシュティア>
↑このへん……。
インド国境からバスで数時間東に向かった先にある街。
ポッダ河(ガンジス河の下流)のほど近くにある。
国境から走るバスの車窓から。
なんとなく、自然風物とか建物がカンボジアに似てる気がするんだよな。
夕方になってクシュティアに到着。
翌日朝。ガンジスの支流のゴライ河を見に行くことにした。
河に水を汲みに行くんだろうか。
河畔に来た。
ちなみにインドやバングラデシュの女性の服装は、
未婚だとパンジャービードレス(ズボン履き)ですが既婚だとこうなります。
ゴライ河!(干からびてます)
かっけえ。
人々の列はこんな感じで伸びていく。
日本人の日常感覚だともはや理解しづらいのだが、
ほんらい、鉄橋とかトンネルとか鉄道とかがあるという事実は実は非常に凄いことである。
それらがないと人間の移動や物流がおそろしく滞ってしまい、
「越すに越されぬ大井川」とか「箱根の山は天下の険」みたいに、
山や河をひとつ越えるのが極めて大変だったりするのだ。
ラオスやネパールの山奥に日本が掘ったトンネルが通ってたり、
バングラデシュやカンボジアの大河に日本の橋が架かってたりするのは、
実は地元の人にはかなり感謝されていたりする。
ラロン・マジャル。
ベンガルの著名な宗教詩人(バウル)だったラロン・シャハの墓。
(俺はムスリムじゃないので間違った説明になっているかもしれないのを承知で言えば)
偶像の崇拝を厳しく禁じた厳格な一神教・イスラームではあるが、
地域のお地蔵さんや天神様みたいなムードで、
亡くなった聖者の墓が地域信仰の場になることは決して少なくない。
特にベンガルには、こういう聖者廟がとても多いようなのである。
バウル。RPGっぽくジョブ設定すれば吟遊詩人。
こういう人たちはリアルにいるのだ。
しかも、観光用じゃなくもっぱら地域住民向けに歌ってるようなのが。
クシュティアの市街地。
市内の移動にバイクや自動車なんていらねえ、という男らしい街。
バスに乗って北のボグラの街に向かう。
車窓からガンジス河。
――――――――――――――――――――――――
……画像を貼り出したら楽しくなってきたので、後半に続く。
世界はとても広いのだ。
独裁者の教養 (星海社新書)安田峰俊講談社
↑というわけで、世界史の教科書を…。