前記事では登場人物を紹介した。
それでは、彼らがいかにして薄熙来の失脚劇をつむいでいったのかを見ていくことにしよう。
<2.事態に至る以前のまとめ>
―――――――――――――――――――――――
2004年、薄熙来は商務部長に就任。
中国経済が上り調子だった時代でもあり、
とりあえず大過なく過ごすことに成功。次は副総理とのもっぱらの噂。
↓
2007年、薄熙来は党のトップ25人である中央政治局委員に昇格。
ただし、もらったポストは念願の副総理ではなく、なぜかやや左遷気味の重慶党委書記。
重慶は田舎なので、総支社長待遇でも行きたくねえよというのが薄の本音。
↓
というか、このままド田舎の重慶で燻ってしまっては、
中共高官の最終目標である政治局常務委員9人の枠に入れないのではないか?
↓
薄熙来あせる。
↓
イチかバチかで、重慶でド派手なパフォーマンス政治をおこない注目を集めることに。
過去の腹心だった王立軍を呼び寄せてマフィアを退治し、重慶市の貧富格差の調整に挑戦、
さらに1960年代の革命歌謡を歌おうキャンペーンで、懐メロ大好き党内保守派にアピール。
良くも悪くも話題をさらう(2009〜2011年前半)
↓
薄熙来も無能ではないので、それなりに各政策の効果は出る。
特に重慶においては、薄熙来個人への個人崇拝的な動きが出るほど、
民心をつかむことに成功する。
懐メロ好きの周永康も、鬼瓦のような顔をニコニコさせて喜んだであろう(たぶん)。
↓
しかし、薄熙来はマフィア退治の過程で前任者の汪洋の部下を大量粛清。
汪洋に恨まれ、これはもちろん汪洋のボスである胡錦濤からも恨まれたほか、
さらに「ヤーさんのシノギが明らかになったらワシらも困るやんけ」と、
既得権益の権化である江沢民一派からも嫌がられる。
温家宝にいたっては「文革みたいで引きます」的なことをメディアの前で発言するほど。
↓
肝心の重慶での民心掌握にしても、
北京の党中央から見ると、これは薄熙来の地方諸侯化にしか見えず、
やはり非常に危険なものだった。
呉楚七国の乱なり安禄山の反乱なり三藩の乱なり、
中国における地方諸侯の割拠というのはいろいろと危ない前例があるのだ。
↓
2011年末〜2012年初頭ごろから、
「あの子、調子乗りすぎなんだけど」という意見が
胡錦濤派や江沢民派などの別なくささやかれるようになった(と思われる)。
薄熙来外しのコンセンサスが、胡錦濤や温家宝はもちろんのこと、
江沢民や習近平らの間でも自然に形成される流れになっていったということだ。
↓
英国人殺害事件発生。薄熙来失脚劇はじまる。…以下、詳細は<3>に譲る。
―――――――――――――――――――――――
まず、背景はこういうことだったのだ。
いうなれば、『部長・島耕作』の終盤で九州支社に飛ばされた島耕作が、
定年年齢までの本社取締役入りを狙うためになり振り構わぬ運動を開始。
九州圏内だけハツシバの流通を勝手に変えたり、大通りでハツシバ社歌を歌う運動をはじめたり、
九州支社だけで独自のリストラやら物件売却を進めたり、
いずれも、現在の体制を古き良き昭和時代の体制に回帰させて問題解決を図るような、
見る者にそういう連想をさせて仕方ないような動きをしている。
かつ、それなりに成果を出している。
しかし、いくらそういう方式で成果を出してはいても、
本社的には、中央のルールを無視したかのような行動は不気味だ。
しかもリストラや物件売却を勝手に進められたせいで、
本社の有力役員の利権が減ったり、部下が勝手にクビにされたりしている。
そこで、あいつはやりすぎだと話し合うような状況が、
2011年末頃までには初芝電産――もとい中国共産党内部で形成されつつあったと思われるのだ。
島耕作がエキセントリックすぎるため、
大泉会長も中沢も万亀も岡林もみんな揃って、島に距離を置きはじめたということである。
そんな状況の中、マンガばりに凄い事件が、薄熙来の側で勝手に発生する。
それが今回の失脚劇に繋がるのである。
<3.今年以降の薄熙来失脚の経緯、詳細まとめ>
―――――――――――――――――――――――
昨年11月某日。
謎の英国人商人ヘイウッド、薄一族の資産の海外送金に関係して谷開来夫人とトラブルに。
「奥さん、この件を公にしちゃっていいんですかい? 困るのは旦那さんと奥さんですぜヘッヘッヘッ」と、
明らかに死亡フラグっぽいセリフ(想像)で谷開来を脅したところ、
谷開来は夫には内緒で昼下がりの熟れた肉体を卑劣な脅迫者の前に投げ出し(ry ……という
日活ロマンポルノみたいな素敵な展開にはならず、問答無用でヘイウッドを毒殺してしまう。
ヘイウッドが谷開来夫人の弱みに付け込んだ小悪党だったのか、
谷夫人が無茶な要求を出しまくってヘイウッドがぶち切れたのかは不明だが、
ともかく、こういう火曜サスペンスや探偵マンガみたいなことがリアルであったのだ。
↓
バーローのかわりに、脳筋系男子・王立軍の部下の、重慶警察の皆さんが殺人現場にやってくる。
前回記事の通り、王立軍は遼寧省時代以来、薄熙来の十数年来の部下であり、
このとき重慶市の警察部門のトップの地位にあった。
↓
重慶市警察当局「ヘイウッドさんはアル中で死なはりました」と発表。
本物のヘイウッドは下戸なのだが、そんなことはどうでもよかった。
事前にヘイウッドを殺すことを申し含められていたかは不明だが、
王立軍は薄夫妻の殺人への関与を知った上で、事件のもみ消し工作を担当した可能性はある。
少なくとも、部下から上がってきた捜査情報を通じて事件の真相(谷開来の関与)に気付き、
見て見ぬふりくらいはしたはずだろう。
↓
今年1月28日に入り、王立軍が薄熙来を相手に、例の事件について蒸し返す。
しかも、事件の真相解明についての追加捜査まで匂わせる。
王の意図は不明だが、とにかくそういうことはあったようだ。
Report on Ousted China Official Shows Effort at Damage Control
↓
これに対して薄熙来激怒。
2月2日、王立軍は公安局長の職を解かれ、教育・科学技術・環境保護担当部署という
彼のキャリアからすれば明らかに場違いの部署に左遷される。
↓
王立軍は薄熙来に対して
「これまで十数年間にわたりお仕えしてきた私をお見捨てになるのですか!?」と、
そのくらいのことは考えたのは想像に難くない。
もしくは、薄熙来の恐ろしさを重々承知していた彼としては、
「俺もヘイウッドのように消される。薄熙来はそういう男だ」くらいまで思ったかもしれない。
↓
2月6日、王立軍は四川省成都市内のアメリカ領事館に亡命。
薄熙来の家族スキャンダルを全世界に公開して仕返ししてやろうとしたのか、
もしくはヘイウッド事件よりもっと強烈な薄熙来の秘密をアメリカにバラして共倒れ自爆を狙ったのか、
アメリカ領事館に逃げれば自分は死なずに済むと考えたのか、
そのへんの正確な動機はは王立軍に聞かないとわからないが、
とにかく領事館に亡命。
↓
約1日のすったもんだの末、王立軍は中国側に身柄を引き渡され、北京に護送。
わざわざ国家安全部(中国版KGB)が北京からやってきたことからわかるように、
中共中央の関心の焦点は王立軍がどんな情報をアメリカにリークしたかにあった。
↓
王立軍から国家安全部を通じて、薄熙来の秘密がすべて残らず党中央にバレる。
↓
加えてそもそも、こうした水面下の事態を一切脇に措いても、
重慶市のトップ(=薄熙来)が、副市長(=王立軍)にアメリカ領事館への亡命未遂をされたのは
辞表ものの大失態。
↓
3月14日。
温家宝が全人代閉幕後の記者会見で「薄熙来は反省してもらわなあきませんなあ」的なことを言い出す。
↓
3月15日。
薄熙来、重慶市共産党委員会書記を解任され、事実上の失脚。
↓
3月20日ごろ。
新浪微博など中国のネット上で、
「薄熙来を支持する軍関係者により北京でクーデター発生」
「薄熙来解任に反発した周永康が拘束された」
などのデマ流れる。事実関係はないとされる。
↓
おそらく、3月下旬から4月上旬にかけて
ヘイウッド事件の証拠固めや薄熙来の地盤の壊滅作業が水面下で進む。
↓
4月10日。
中共中央「重大な党規違反」を理由に薄熙来の中央政治局委員の職務停止。薄熙来完全失脚。
同時に谷開来の逮捕も発表。ついでに薄瓜瓜が拘束されたとも。
―――――――――――――――――――――――
……長かったが、とりあえずわかりやすく解説してみた。
それでは、彼らがいかにして薄熙来の失脚劇をつむいでいったのかを見ていくことにしよう。
<2.事態に至る以前のまとめ>
―――――――――――――――――――――――
2004年、薄熙来は商務部長に就任。
中国経済が上り調子だった時代でもあり、
とりあえず大過なく過ごすことに成功。次は副総理とのもっぱらの噂。
↓
2007年、薄熙来は党のトップ25人である中央政治局委員に昇格。
ただし、もらったポストは念願の副総理ではなく、なぜかやや左遷気味の重慶党委書記。
重慶は田舎なので、総支社長待遇でも行きたくねえよというのが薄の本音。
↓
というか、このままド田舎の重慶で燻ってしまっては、
中共高官の最終目標である政治局常務委員9人の枠に入れないのではないか?
↓
薄熙来あせる。
↓
イチかバチかで、重慶でド派手なパフォーマンス政治をおこない注目を集めることに。
過去の腹心だった王立軍を呼び寄せてマフィアを退治し、重慶市の貧富格差の調整に挑戦、
さらに1960年代の革命歌謡を歌おうキャンペーンで、懐メロ大好き党内保守派にアピール。
良くも悪くも話題をさらう(2009〜2011年前半)
↓
薄熙来も無能ではないので、それなりに各政策の効果は出る。
特に重慶においては、薄熙来個人への個人崇拝的な動きが出るほど、
民心をつかむことに成功する。
懐メロ好きの周永康も、鬼瓦のような顔をニコニコさせて喜んだであろう(たぶん)。
↓
しかし、薄熙来はマフィア退治の過程で前任者の汪洋の部下を大量粛清。
汪洋に恨まれ、これはもちろん汪洋のボスである胡錦濤からも恨まれたほか、
さらに「ヤーさんのシノギが明らかになったらワシらも困るやんけ」と、
既得権益の権化である江沢民一派からも嫌がられる。
温家宝にいたっては「文革みたいで引きます」的なことをメディアの前で発言するほど。
↓
肝心の重慶での民心掌握にしても、
北京の党中央から見ると、これは薄熙来の地方諸侯化にしか見えず、
やはり非常に危険なものだった。
呉楚七国の乱なり安禄山の反乱なり三藩の乱なり、
中国における地方諸侯の割拠というのはいろいろと危ない前例があるのだ。
↓
2011年末〜2012年初頭ごろから、
「あの子、調子乗りすぎなんだけど」という意見が
胡錦濤派や江沢民派などの別なくささやかれるようになった(と思われる)。
薄熙来外しのコンセンサスが、胡錦濤や温家宝はもちろんのこと、
江沢民や習近平らの間でも自然に形成される流れになっていったということだ。
↓
英国人殺害事件発生。薄熙来失脚劇はじまる。…以下、詳細は<3>に譲る。
―――――――――――――――――――――――
まず、背景はこういうことだったのだ。
いうなれば、『部長・島耕作』の終盤で九州支社に飛ばされた島耕作が、
定年年齢までの本社取締役入りを狙うためになり振り構わぬ運動を開始。
九州圏内だけハツシバの流通を勝手に変えたり、大通りでハツシバ社歌を歌う運動をはじめたり、
九州支社だけで独自のリストラやら物件売却を進めたり、
いずれも、現在の体制を古き良き昭和時代の体制に回帰させて問題解決を図るような、
見る者にそういう連想をさせて仕方ないような動きをしている。
かつ、それなりに成果を出している。
しかし、いくらそういう方式で成果を出してはいても、
本社的には、中央のルールを無視したかのような行動は不気味だ。
しかもリストラや物件売却を勝手に進められたせいで、
本社の有力役員の利権が減ったり、部下が勝手にクビにされたりしている。
そこで、あいつはやりすぎだと話し合うような状況が、
2011年末頃までには初芝電産――もとい中国共産党内部で形成されつつあったと思われるのだ。
島耕作がエキセントリックすぎるため、
大泉会長も中沢も万亀も岡林もみんな揃って、島に距離を置きはじめたということである。
そんな状況の中、マンガばりに凄い事件が、薄熙来の側で勝手に発生する。
それが今回の失脚劇に繋がるのである。
<3.今年以降の薄熙来失脚の経緯、詳細まとめ>
―――――――――――――――――――――――
昨年11月某日。
謎の英国人商人ヘイウッド、薄一族の資産の海外送金に関係して谷開来夫人とトラブルに。
「奥さん、この件を公にしちゃっていいんですかい? 困るのは旦那さんと奥さんですぜヘッヘッヘッ」と、
明らかに死亡フラグっぽいセリフ(想像)で谷開来を脅したところ、
谷開来は夫には内緒で昼下がりの熟れた肉体を卑劣な脅迫者の前に投げ出し(ry ……という
日活ロマンポルノみたいな素敵な展開にはならず、問答無用でヘイウッドを毒殺してしまう。
ヘイウッドが谷開来夫人の弱みに付け込んだ小悪党だったのか、
谷夫人が無茶な要求を出しまくってヘイウッドがぶち切れたのかは不明だが、
ともかく、こういう火曜サスペンスや探偵マンガみたいなことがリアルであったのだ。
↓
バーローのかわりに、脳筋系男子・王立軍の部下の、重慶警察の皆さんが殺人現場にやってくる。
前回記事の通り、王立軍は遼寧省時代以来、薄熙来の十数年来の部下であり、
このとき重慶市の警察部門のトップの地位にあった。
↓
重慶市警察当局「ヘイウッドさんはアル中で死なはりました」と発表。
本物のヘイウッドは下戸なのだが、そんなことはどうでもよかった。
事前にヘイウッドを殺すことを申し含められていたかは不明だが、
王立軍は薄夫妻の殺人への関与を知った上で、事件のもみ消し工作を担当した可能性はある。
少なくとも、部下から上がってきた捜査情報を通じて事件の真相(谷開来の関与)に気付き、
見て見ぬふりくらいはしたはずだろう。
↓
今年1月28日に入り、王立軍が薄熙来を相手に、例の事件について蒸し返す。
しかも、事件の真相解明についての追加捜査まで匂わせる。
王の意図は不明だが、とにかくそういうことはあったようだ。
Report on Ousted China Official Shows Effort at Damage Control
↓
これに対して薄熙来激怒。
2月2日、王立軍は公安局長の職を解かれ、教育・科学技術・環境保護担当部署という
彼のキャリアからすれば明らかに場違いの部署に左遷される。
↓
王立軍は薄熙来に対して
「これまで十数年間にわたりお仕えしてきた私をお見捨てになるのですか!?」と、
そのくらいのことは考えたのは想像に難くない。
もしくは、薄熙来の恐ろしさを重々承知していた彼としては、
「俺もヘイウッドのように消される。薄熙来はそういう男だ」くらいまで思ったかもしれない。
↓
2月6日、王立軍は四川省成都市内のアメリカ領事館に亡命。
薄熙来の家族スキャンダルを全世界に公開して仕返ししてやろうとしたのか、
もしくはヘイウッド事件よりもっと強烈な薄熙来の秘密をアメリカにバラして共倒れ自爆を狙ったのか、
アメリカ領事館に逃げれば自分は死なずに済むと考えたのか、
そのへんの正確な動機はは王立軍に聞かないとわからないが、
とにかく領事館に亡命。
↓
約1日のすったもんだの末、王立軍は中国側に身柄を引き渡され、北京に護送。
わざわざ国家安全部(中国版KGB)が北京からやってきたことからわかるように、
中共中央の関心の焦点は王立軍がどんな情報をアメリカにリークしたかにあった。
↓
王立軍から国家安全部を通じて、薄熙来の秘密がすべて残らず党中央にバレる。
↓
加えてそもそも、こうした水面下の事態を一切脇に措いても、
重慶市のトップ(=薄熙来)が、副市長(=王立軍)にアメリカ領事館への亡命未遂をされたのは
辞表ものの大失態。
↓
3月14日。
温家宝が全人代閉幕後の記者会見で「薄熙来は反省してもらわなあきませんなあ」的なことを言い出す。
↓
3月15日。
薄熙来、重慶市共産党委員会書記を解任され、事実上の失脚。
↓
3月20日ごろ。
新浪微博など中国のネット上で、
「薄熙来を支持する軍関係者により北京でクーデター発生」
「薄熙来解任に反発した周永康が拘束された」
などのデマ流れる。事実関係はないとされる。
↓
おそらく、3月下旬から4月上旬にかけて
ヘイウッド事件の証拠固めや薄熙来の地盤の壊滅作業が水面下で進む。
↓
4月10日。
中共中央「重大な党規違反」を理由に薄熙来の中央政治局委員の職務停止。薄熙来完全失脚。
同時に谷開来の逮捕も発表。ついでに薄瓜瓜が拘束されたとも。
―――――――――――――――――――――――
……長かったが、とりあえずわかりやすく解説してみた。